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孤独は媚薬、そして魔物


マクロン大統領と、生年月日が全く一緒な僕です。40代のほぼ全てを大統領として過ごすのはどんな気分だろう。


さて。 「孤独が支えるトランプ現象: 日本経済新聞 (nikkei.com)」という記事を読みました。大雑把に言うとトランプ元大統領を支持した人には、孤独を抱える人が多かったという調査結果があるそうです。離別や、格差、そしてコロナと、背景には色々あれど、孤立は極論に傾きやすくなるというデータもあるのだとか。


孤独は、自分と向き合い、思索を深めてくれるものだと思います。ひとり、自問自答を繰り返すのは、その意味でとても有意義だと思いますし、そこから価値あるものもたくさん生まれるはず。でも一方で、極論に傾きやすくなるというリスクがあることも、肌感覚でわかる気がします。極論かどうかはさておいて、自分ひとりだけで考えた意見や自分の中の常識が、世の中のスタンダードと照らし合わせてみたら随分とギャップがあることって、きっと多くの人が経験ありますよね。え、これオレだけ?みたいな。


一人でいると、自分の思考が強化されすぎるんでしょうね。反論する人は誰もいないわけだから、常に正当化され、ときに独善化してしまうのかも。そうなると、たまたま同じ意見の人と出会った時の同調度・共振度は必然的に高くなり、そうでない場合にはむしろ排他的になってしまうんでしょう。あるいは、よくぞ私の考えていることを代弁してくれた! という快哉だってありますよね。うん、こういうことも、いろんなシーンで日常的にあることだと思います(いい例えが浮かびませんが)。


誰かと一緒にいること、行動を共にすることは、多少なりとも摩擦とストレスも伴うものだから、避けたくなることも多いです。限られた時間だから、ひとりで自分の好きなことをしたい気持ちも、ごく自然なことです。でも、摩擦やストレスを避けて一人でい続けると、自分がどんどんわがままになって、いつしかモンスターになってしまうのではないかという疑心暗鬼的恐怖感も、僕にはあります。僕たちは誰かと繋がって、キャッチボールやラリー(そしてときにスマッシュ!)を繰り返しながら、いろんなものを受容していかなくてはいけないのだろうな、そんな風に思わされる記事なのでした。


二元論ではなく、自分と違うものを取り入れることって本当に大事ですよね。他人の靴を履いてみる。そういうのも、ある種のよりみちかな〜。


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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