スキップしてメイン コンテンツに移動

感想_その着せ替え人形は恋をする(1~9巻)

今日はくそつまんないマンガを紹介します。ウソです(エイプリルフール)。


さて。マンガ『その着せ替え人形は恋をする』1~9巻読了。ひな人形工房に生まれ、ひな人形を愛するが故、友達もいない高校生の五条。ひょんなことから、奔放で人気者でギャルの同級生・喜多川海夢のコスプレ衣装を作ることになり、正反対とも言えるふたりの交流が始まる。ついに完成した衣装は、海夢の想像を超えるクオリティだった。


アニメ化もされて大ヒット漫画、既刊一気読みしました。面白かった~。いきなりエロゲームのコスから始まるというウルトラC! これがお下品にならないラインで笑わせてくれてセンス抜群。冴えない純朴少年と、イケてる女子のラブコメって、王道設定ではあるけれども、まんまじゃないのがよかったです。


五条君、ひな人形職人という基本設定がしっかりしているので、いろいろ抜けてても好感度マックス。私服が作務衣しかないとかいうありえんだろw設定も全然素直に受け入れられちゃう。海夢の行き当たりばったりに「行動力!」と翻弄されるの超いいね。


一方の海夢、エロカワイイのはお約束として、こちらもぶっ飛んだ天然ぷりが最高ね。ギャル語(&おバカ風)全開で、テンションもぶちあがっているのに、早々に五条君への恋心を自覚してからというもの、まさかのうぶうぶ全開放というのが面白すぎ。恥じらう表情×幼児化する言語能力で、向かうところ、敵、いません。


もうひとつ見逃せないのは、出てくる人全員いい人ってところですかね。学園もの、ラブコメものだと、ひと昔前ならいや~な仮想敵のひとりやふたり出てきそうなもんですが、この世界にはそんなの存在しません。コスプレイヤーはもちろん、人形職人に対しても、愛情たっぷり、誰かの好きやこだわりを決して否定することのないスタンスがこの世界を支えているよね。さながら木皿泉だわ。箱庭ファンタジーだけど、本質をついているから泣けてくる(いや、泣きはしないんだが)。


ただ、5巻くらいから、新しいコス⇒ハードル登場⇒でも乗り越えて大成功、というフレームにちょっと飽きてきてしまったので、この先どうなるのかな、というところ。男装もしちゃったし、コスプレのバリエーションだけで押していくのはちょっときついかも? かといって、ふたりのラブ路線をあんまりマジで深ぼるのもちょっと違うような気もするし。なんて考えちゃうのは、ハマっているからですね。


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

コメント

このブログの人気の投稿

相模原camp

さて。キャンプ行ってきました。我が家は道具無しの素人なのでバンガローに宿泊して、ふとんもレンタル。食事類はすべて友人家族におんぶにだっこ。感謝しかありません。 向かったのは相模原のほうの青根キャンプ場というところ。とにかくお天気に恵まれて、夜〜朝こそひんやりしましたが気持ちよくて。バンガローはきれいでエアコンもあったので快適そのもの。 子供達もいろいろ手伝ってくれてお昼はカレーを作り夜はお鍋を作り、翌朝はホットサンド。燻製もあったりどれもこれも美味しくて。自然の中でいただく手作り料理。ベタですが本当に最高ですね。 施設内に大浴場があるのも嬉しいし、川も流れてて釣りや川遊びに興じることも。2日目は近くの宮ヶ瀬湖で遊んで帰りました。とにかく子供たちが楽しそうで、多幸感あふれるキャンプになりました。めでたし。 よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

感想_天気の子

  『天気の子』(2019年公開)鑑賞。異常気象で雨が降り続ける東京に、神津島から家出してきた16歳の帆高。ある日知り合った陽菜というもうすぐ18歳の子は、祈るだけで晴天をもたらす不思議な力を持っていた。ふたりは、その能力を仕事にしはじめて。 前作『君の名は。』がとても面白かったので期待もありつつ、世の評判はけっこう割れていたようで、とても楽しみでした。そして、すっごく楽しめました。 ハリウッドリメイク意識か!?(してほしい!)というくらいのディザスター感、チェイスアクション、そしてジブリなみのファンタジーで、やりすぎ感すらあったと思いますが、やはり真骨頂はジャパニーズ青春エンタテイメント。美しいアニメーション、花火大会の奥行きとかすごいですね。実写にするならぜひ3Dで観たい。 いろんなポイントがあったと思いますが、いちばん感じたのはイノセンスを問われるなぁということ。「君の名は。」以上に、ふたりの主人公の関係に力点が置かれていて、ファンタジーでありながらも真っ直ぐな感情の動きに、思わず涙ぐみました。この真っ直ぐさを受け入れられるか、言い換えると「きれいなものをどこまで信じていられるか」で評価が割れそうな気がしました。 知らぬ間に陽菜を損ない続けていた帆高の自責の念はどれほどだったか。それを思うと、山手線の線路内を走る非現実的にも見えるあのシーンは「ありえない」ほどの想いをちゃんと表現してくれたシークエンスだと感じました。 雨が降り続いた東京は、どこかコロナと共生する今の自分が重なります。どんな苦難があってもそれでも僕たちはそこで生きていくし、物語は続いていく。もちろん去年の段階でそんなことを考えていたはずはなく、それだけ本質をとらえていたということでもあると思います。 天気や生死、運命など、世界にはどうにもならないことがたくさんあるけど、その中でそれぞれに役割を探しながら生きている。大事なのは、ちっぽけな僕たちでも、確かに世界のカタチを変えうる瞬間というのはあるんだということ。須賀のいうとおりそれはただの自惚れ、思い込みかもしれないとしても。 追っ手を振り切って屋上を目指す帆高に、須賀は逃げるなと言った。帆高...

鑑賞_生まれておいで 生きておいで

さて。東京国立博物館で開催中の内藤礼の企画展「生まれておいで 生きておいで」鑑賞してきました。とんでもなく良かったなこれは。 展示は大きくふた部屋+1。まずは平成館の展示室ですが、入った瞬間この人やっぱ天才だなと。薄暗い室内に、小さくてカラフルな毛糸玉がテグスで吊り下げられています。頭の高さの少し上くらいにランダムに並ぶそれはそれらは小惑星のようであり、生命体のようでもある。とてもささやかでシンプルなのに、おごそかで美しい。 何気なく置かれる木や石、展示ケース内に敷き詰められた白フェルトも作品だよね。 わずかにゆれる小さな風船、ガラス玉? 鏡に材質不明の板も、あ、鈴もあった。鑑賞者が行き交う姿すら取り込んで景色にしてしまう神業です。そーっと息を吹きかけると小さくさざめくのもまたよき。もしかしたらケースの向こうが死者のゾーンなのかもしれない。 それは普段からそこにあるのに見過ごしているような、まだなにかの形にもなる前の(胎児のような)、あるいは形としての役目を終えた後の、精霊のような魂のようなものに思えてきます。見えるものと見えないものの間にある、もしくはずっとそこにあるのに見過ごされてきた、なにか。お盆に見るに相応しいな。今日は終戦記念日だ。 次の展示室に移動すれば天才の偉業その2。空間との調和が半端じゃない。小さきものに目を凝らし、歩き、しゃがみ、想いを致す。木片の上の毛糸の切れ端、ケースの隅の微細な紙片、木彫の下に佇む陰影、ガラス玉の連なりを透かす光、そっと立てかけられた小枝、キャンバスの絵の具は描いたというより映し取るように。観てると思考と言葉が自然と湧き出てくるのが心地いい。物と物の距離、偶然のような必然のようなバランス、全てを包むような白いフェルト。あるものと、ないもの。 自然光を取り込んだ空間なので、あ今陰ったな、とわかる。真っ白だったキャンバスは時間と共に彩られていく。しかしそれもやがて無に帰すということ。始まりと終わりとその輪廻という永遠。光と影、生と死、黄泉のつがいよ。歩み寄らないと見えない銀のテープ。この展示室は以前は仮囲いがされ絨毯も敷かれていたそうですが、作家の意向ですべて剥がされオリジナルの空間が蘇ったそう。 この博物館には太古のアイテムが多数ある中で、内藤礼の現代美術作品がそっと溶け込む。それによって 生と死や光と陰のように対になるもの、...