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本当はどこまでだって歩いていける。



ちょっとラグビーの真似事したらものすごく楽しかったです。なんでラグビー部じゃなかったかなー(学校になかったけど)。

さて。雑誌Tarzanが「歩き入門」なる特集をしていたので、興味を惹かれて購入しました。「いま、みんなが歩いている。」ということで、歩く人、統計的にも増えているそうです。かねてからの健康意識の高まりに加えて、コロナが直接的に影響したことは想像に難くないですね。ウォーキングシューズの売り上げも伸びているんだとか。

「病気の9割は歩けば治る」と、医師の方がおっしゃるくらいで、頭の働きは良くなるわ、腸内環境も睡眠の質も良くなるわ、血液の循環も良くなるわ、姿勢が良くなるわと、ウォーキングはいいことづくめ。まあ、現代人はとりわけ歩かないですからね〜。ウーバーイーツもあるし。なんとなく僕自身、コロナ前よりもやや体のコンディションが良くない気がするのですが、通勤が減って歩く量が減ったことが関係していると睨んでいます。

よりみちを推奨する当ブログですので、歩くことは基本的には大好きです。ゴミゴミしたところにさえいかなければ、自由ですし、気分もいいし、休みたければすぐ休めるし、準備もいらないし、体にも良さそうだし。ランニングよりははるかにハードル低いですよね。走れない人はいるけど、歩けない人はそれよりだいぶ少ないはず。

あと、歩くことのいいところは、「すべての道はローマに通ず」を身体的に実感できることだと思うのです。5km先でも10km先でも、ちゃんと歩きで行けるんですよね。相応の時間と体力は必要ですが、乗り物じゃないといけないと思い込んでいた場所に、歩いて行けるんですよ。なんというか、自分たちが何を省略しているのかを、体感できる。そこには結構象徴的な意味があると思っていて。

つまり、今は便利なツールが様々あって、多くのものがどんどん省略されています。移動も、コミュニケーションも、ものづくりも、買い物も、ほとんど何もかもが、昔よりも短く早く簡単になっている。それは要求された進化であり全然構わないのですが、何が省略されたのか(場合によっては失われたのか)を知っておくのは、それなりに意味があるはず。お手軽に見えるものも、どこかで誰かが頑張ってくれてるからこそ、なんですよね。決して自分が偉くなった訳ではないとうこと。

と、それこそローマに辿り着けそうなくらいに飛躍しちゃいましたが、歩くって原始的だからこそ、そういうものに気づかせてもらえるんだと思います。文字どおり地に足がついてる。謙虚さと言い換えてもいいかもしれません。僕たちは本当は、どこまでだって(ローマにだって)歩いていける。でも、いつの間にかそう思えなくなっているとしたら、ちょっともったいないですよね。

などと言いながらも、僕がとりわけウォーキングしているわけではないので、今よりもう少したくさん歩く2022年にしたいと思います。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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