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感想_スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム

 

LINEスタンプはスパイダーマン使用中の僕です。


さて、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019年公開)鑑賞。サノスとの戦いを経て、失われた人類が戻ってきた世界。ピーターはMJへの想いを告げようと考えていたが、旅行中のベニスで水のモンスターに襲われる。そこに現れたのはミステリオ。彼と、モンスターは、別の次元からやってきたという。さらに移動したプラハでも襲われ、ピーターは自らの不甲斐なさを痛感する。ピーターは、ミステリオこそトニー・スタークの遺志を継ぐに相応しいと、彼に託されたサングラスを渡すが、ミステリオの正体は…。

前作『ホームカミング』に続くトム・ホランド版第2弾! 何と言っても見所は、ヨーロッパのハイライトを巡るようなロケーション。ベニスに始まり、プラハ、ベルリン、オランダをちょろっとかすめてロンドンへ。各都市でスパイダーマンが躍動するのが楽しい! が、ロンドンはもうちょっと観たかったかもね〜。

そして対するヴィランはミステリオ。フェイクにフェイクを重ねたその戦いはスピード感とテック感があって、いかにも今っぽい仕上げ。ピーターと一緒にコロリと騙されちゃったよ。ミステリオ自体が特別な能力を持っているわけではないけど、テクノロジーだけでスパイダーマンを追い込むのも現代的。ドローン、AI、VR、などなど最新兵器、恐ろしいぜ。

ミステリオの残した「人は信じたいものを信じる。今の時代、なんだって信じる」という言葉は極めてタイムリー。フェイクニュースに揺れ、ポピュリズムがはびこり、分断を煽った大統領への当て付けであり、紛れもない真実であり。エンドロール後のシーンがまさにそれ。ディープフェイクで、なんだって捏造できてしまう恐怖。簡単に騙される大衆。ファクトチェック超大事。

さて。あどけなさの残るトム・ホランドだけど、体つきがマッチョになってきてヒーローのそれに進化中。ちょっと高めの声もスパイダーマンにぴったり。今思えば初代のトビー・マグワイアも結構似合ってたけど、アンドリュー・ガーフィールドはスマート過ぎたかもね。ホランドは、スタークのサングラスが最初はあんなに間抜けに見えていたのに、戦いの後には案外似合うじゃんて思わせるんだから、お見事。クライマックス前のスーツをアレンジする姿はスタークにダブるところがあって、理系で聡明という設定がしっかりハマってましたね。アイアンマンを継ぐ、スパイダーマン。MJのゼンデイヤの出番も増えて、演技は上手くないと思うけど魅力あるわ。

てことで、MCUお得意の思わせぶりなラストで、『ノー・ウェイ・ホーム』を観る準備は整った! けど公開終わっちまうか!? 日本興収40億突破おめでとう!

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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