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感想_チェンソーマン



2月は営業日少ない上、保育園の休園が何度かあって、なんやかやで追い込まれ気味です。そういう時もあるさ。


さて。藤本タツキ『チェンソーマン』1〜11巻読了。悪魔の蔓延る世界、デビルハンターのデンジはチェンソーの悪魔ポチタと契約し、チェンソーマンとなる。その身柄を公安に確保され、デンジたちは「銃の悪魔」を倒すために動き始めるが…。


「このマンガがすごい!2021オトコ編」第1位獲得の話題作をイッキ読み。と言いつつ、一息には読めませんでした。だってかなりぶっ飛んでるから!!! ひとことでいえばよくわかりません。悪魔の性質も、この世界も、バトルの中身も。どの悪魔も造形がフリークスすぎるしね。支配の悪魔の能力とか、全然よくわからなかったです。ちゃんと読み返せば理解できるのかな? でも、コピーのテンションが素敵で、バイオレンスの中のギャグとは違う逸脱感が心地いい。これはなかなか真似できない分、独特すぎてついていけない部分もあると言えばある。


『進撃の巨人』ぽいなぁと思いました。主人公がヴィランになっちゃう感じで、だけどその視点から正義を問うような。この作品は正義を問うような性格ではなかったけど、最後の方で「普通とは何か」「自分の意志も持たずに生きることが普通なのか」など、ちょっと哲学的な匂いも。でもそれも、テーマなのか、ただなんとなく言わせているのかはわからない。どちらかというと後者な気がするかな。安易に孤独とかマイノリティとか、そういうストーリーに仕立てなくて良かったのだと思う。


なんでもかんでも、わかった気になりたい症候群だからこそ、こういう理解不能系もそれはそれで良かったりするんですよね。なんだかわからないけど、デンジとチェンソーマンとポチタがかっこいい気がする、以上みたいな。タランティーノが映画にしたらすごく格好よさそうだ。『デスプルーフ』っぽいやつ(あれはタランティーノじゃないけど)。


ということで、怪作と呼ぶにふさわしいマンガでした。凄いけど、これが1位って不思議。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。



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