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オズマガジン2022年3月号「東京小さな店めぐり」①




平野歩夢の逆転のラスト一本が録画出来てませんでした。サブチャンネルてなんだ…。


さて。今日はオズマガジンの発売日。特集は「東京小さな店めぐり」です。小さな店とは、大雑把に言えば個人経営のお店。物理的な大きさもそうですが、オーナーの意向が色濃く反映されているかどうか、その密度や濃度が高いお店といった方が正確だと思います。でもま、小さい店、くらいの方がイメージしやすいでしょうか。


そんな素敵なお店たちを、大きく3つのエリアで区切って紹介しています。1番手、馬喰町〜浅草橋。2番手、世田谷沿線。3番手、明治神宮前周辺。同じ都心でも、街のカルチャーが違うのでお店のカラーも少しずつ違う雰囲気を感じますね。馬喰町には下町っぽいのどかさがあるし、世田谷線は住宅地なので生活の色が(でもそこは世田谷なので東東京のそれとはちょっと違う)。そして原宿表参道は当然、洗練されています。


お店の数だけスタイルというものがあって、チェーンストアには雑多さや埋没できるよ居心地の良さがあると思うし、この特集に出てくるようなお店は細部にまでこだわりが感じられるので、そういうのが好きな人には合うと思います。


朗らかに出迎えてくれるお店も、とことん放っておいてくれるお店もある。そういうのを、気分に合わせて使い分けられると、東京マスター。一人になりたい時。誰かと話したい時。誰にも見つかりたくない時。かといって家でぼーっとしているのは嫌な時。おしゃれしていきたい時。なるべく適当な格好でいたい時。などなど。


個人的な感覚ですが、2011年を境にして、個人のお店はとても増えたように感じています。いろんな人が生き方を見直して、豊かさの意味について考えて、時代の変化もあっての、今だなあと思ったりします。町は世界の鏡であり、小さなお店はそんな世界を形作るものとして、そこにあります。


東京は、コロナ禍でたくさんのお店が閉まりましたが、それに劣らず新しいお店が開店しました(肌感覚なのだ正確なデータはわかりません)。お店という場が、今の僕たちに必要ということなんだと思います。そんなシーンも感じられるような気がする一冊でした。


それから「最新TOKYO BAR GUIDE」のページもありました。厳選の6軒紹介。これもまた、小き良きお店です。いやーたくさんお店巡りしたいですね、本当に。とりあえず自分の生活圏に近いところに足を運んでみようと思うのでした。


みなさんも、お気に入りの一軒をこの誌面から見つけてみてください。僕は馬喰町のPARLORSさんに行きたいです!


よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。








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