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ひとり、ふらり、さんぽでも。


12/25水曜日おはようございます。来年のカレンダー用意しなくちゃ。


月曜日に、1月11日発売「ひとり東京さんぽ」特集を作り終えました。この特集、4年連続で毎年1月に出しています。初めて作ったときは、ひとりの時間が大切、というようなことを考えていて、結果として、さんぽに落ち着きました。この本が予想以上に手にとっていただけたことで今や人気の恒例企画に育ってきました。

今思うと、この5年くらい東京の変化は目覚しく(そして目まぐるしく)、毎年、その時にしかない東京が写っているように思います。古いものは少しずつ減ってしまっているのが実情ですが、でもまだ古き良きを留めている町もあれば、最新できたてほやほやの街もある。良くも悪くもそれが東京なので、ポジティブに楽しみたいと思っています。都会であれ田舎であれ、暮らしを作るのはハコではなく人ですし。

4年前と比べると、今ではひとり行動なんてすっかり当たり前で、携帯電話があれば手持ち無沙汰ということもあまりありません(充実するとも限りませんが)。おひとりさま、というどこか自虐的な言葉もあまり聞かなくなりましたしね。なので、今年の特集はより気軽に、ふらりと気の向くままに使ってもらえたら、という気持ちで東京のよりみち案内をしています。ひとりでも、ふたりでも、3人でも全然構わないのですが、「東京さんぽ」と「ひとり東京さんぽ」だと、微妙にニュアンス違うんですよね。前者ではないのです。

写真は白山のplateau booksさん。日当たりもよくコーヒーもいただける素敵な本屋さんでした。おすすめ。

今日も、いい1日を。

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