スキップしてメイン コンテンツに移動

新幹線運休にまつわるエトセトラ。

ご近所がお祭りラッシュで、日常の回帰を感じています。

さて。大雨に襲われた日本列島ですが、私も影響受けたので記録しておきますよドキュメント。

6/1名古屋へ。終日曇りで夜遅くパラついた程度。6/2目を覚ますと雨。まあまあの降り。11時頃名古屋駅に着くと在来線計画運休のお知らせが出ており、みどりの窓口は混雑している。新幹線は平常通りで、豊橋へ。

雨風がだいぶ強まってきた。こちらも在来線は続々と運休の模様。商業施設に行ったが人影まばら。14時過ぎの新幹線で浜松に移動。三河安城らへんで停電があったそうで、乗った新幹線の次以降が運転見合わせのアナウンス。今日のうちに帰る予定で、もしかしたらこれ降りないほうがいいのかも?と頭をよぎるが、まあ一時的だろうとタカをくくり予定通り浜松下車。ここが運命の分かれ道だと気付くのはもう少し後の話。

アポイントを終えて16時過ぎ、新幹線は動いていない。浜松駅のカフェで待機してると、17時半頃にラストオーダーと言われる。急遽、閉店が18時に繰り上がったのだそう。この頃、店内中のスマホに緊急アラートが鳴りまくる。付近の川の増水への警報。後からニュースで知るが、午前中に行った豊川もここ浜松も大変な大雨被害でした。

東海道新幹線のサイトには終日運休の可能性が仄めかされる。浜松駅周辺のホテルを探すがすでに全滅のようで、何軒か満室と言われ、あとは電話も通じずネット検索も空室はヒットしない。一軒飛び込んでみたが夕方から一気に埋まったとのこと。フロントがちょうどキャンセル電話受けてたから空きが出たかと思ったけど今日の予約ではなかった。浜松に来られなくなった人もいそうなものだけどね。

レンタカーも聞いてみたけど県外乗り捨てができなかったり、空きがなかったりで断念。これも後から知ったが東名高速も通行止めになってたぜ。駅前ホテル一階カフェで仕事してたらついに新幹線終日運休確定したのが19時頃だったかな。

幸いカーシェアは明日の昼まで空いてたので(駅近のステーションは取れなかったが)それをおさえて、再びホテルを探すとクルマで20分ほどのビジネスホテルがかろうじて取れたよ。最悪の事態は回避かな。てことで向かおうとしたらホテルの傘立てに置いた傘がないよ! 宿泊客が持って出てしまったようで、フロントに泣きついて傘を借りる(自分の傘が戻ってきたら確保してくれと依頼。翌朝来たら保護されてて借りた傘と無事交換)。

なかなかの大雨でしたが無事にホテル到着。隣のファミレスでビール飲もうと思ったらここも臨時早じまい。あと下着買わなきゃとコンビニ探すも売ってるとこがこういう時に限って見つからないのねー。とかやってたら無性にラーメン食べたくなるも、これもやってる店が見つからず無駄に30分以上彷徨ってしまった。疲れたぜ。。

我に帰りまして。明日の朝には動いてるだろうと考えて8時台の新幹線を予約して就寝。

6/3、6時半起床。新幹線は午前運休が決定してるじゃん。午後のひかりが奇跡的?に指定取れたので変更(改めてEX予約のあらがたみよ!)。雨は上がっている。10時頃には晴れ間も出てきた。台風一過。お昼に浜松駅につき、腹いせにひつまぶし食べて、駅に行くとまだ新幹線来てないのに大混雑。今日の一番電車になるこだまは、とんでもない混雑で、駅員さんに聞いてみたけど多分乗れない人出ると。

で、わいの次のひかり号は早くも30分遅れと表示され、次のこだまが先に来るという。やることもなく駅で待ってたら、到着がみるみる遅れて、最終的には70分遅れとなっていた。ひとつ前のこだまの到着をホームで見たが、乗れない人多数はもとより、指定持ってるのにパンパンでなかなか乗り込めない人も。駅員さんも諦め顔。ひえー。

ようやく来たオレのひかり号。比較的早めに並んでおいたので席までは辿り着けた。ほ。が、なんと横の通路に推定70代の女性が立ってるじゃん。。替わるしかないよね、浜松新横浜なんて1時間だしさ。徳を積むべし。

なんやかやで新横浜到着は定刻90分遅れなのでした。流石に疲れたぞ。関係ないけど、1泊目のホテルに忘れものしたり(送ってもらった)、2泊目のホテルでコーヒーこぼしたり、なんかついてなかったな!(自業自得)

あらためてニュースを見ると被害甚大で、自分は混乱はしたけど被害と呼べるものはなかったので良かったというかなんというか。こういうときはリスク取らずに柔軟に予定変更すべしだなと学んだのでした。もう昭和じゃないしね。「なんとかなるでしょ」的バイアスも良くないなと。

以上、長文になってしまいました。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。







コメント

このブログの人気の投稿

抽象絵画スペクタクル

書きたいことはいろいろあるのですが、書く時間がうまく取れなくてすみません。 でも。これはどうしても書き残したい! アーティゾン美術館で開催中の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」鑑賞しました。 軽い気持ちで観に行ったのですが、とてもよかったです。何がよかったかというと、最後の「現代の作家たち」のセクションで、文字通り現代作家の抽象画が並んでいるのですがとても好みで最高だったのです。特に感動したのが鍵岡リグレ アンヌさんの作品↓ 「Reflection」というシリーズの2点でしたが、流る水を思わせる色使い、世界地図のようにも見えた奥行きというか広がりの視覚的インパクトもさることながら、これジオラマのように隆起している立体的な作品なのです。解説によるとグラフィートという古典的な壁画の技法に布のコラージュが加わっているそう。初めて、心の底から、この作品が欲しいって思いました。いくらするかわからないけど何とかして手に入れたい。作品集もあればほしい(検索したところ見つからなかった)。 そのほかにも、リタ・アッカーマン、津上みゆき、高畠依子、横澤美由紀といった面々の作品もインパクト抜群でした。めちゃくちゃワクワクした。 展示全体でいうと、抽象画前夜のセザンヌやゴーガンに始まり、マティスにピカソにジョルジュ・ブラックのキュビスム、そしてカンディンスキーやパウル・クレーといった始祖の作品が連なります。やがてその中心はアメリカに移り、ジャクソン・ポロックやクーニング夫妻、マーク・ロスコなども並ぶオールスター的なラインナップで見応えありました。 あらためて抽象画、パッと見からは何を描いているのかわかりません。印象派たちが自らの感性のまま風景をとらえたのち、作家たちは自らの内面に目を向けそれをアウトプットしたのが抽象画だとするなら、それはすなわち心象風景であり前後の文脈や作家の言葉を参照せずに、わかるはずはない。 だから、わかろうとしなくてもいいんですよね。僕なんかはもう見た感じが好きか嫌いかでしかないし、それが何を描いているのか想像したところで正解なんてもはやないわけで。そしてそれこそが醍醐味だなと再確認しました。強い原色、荒ぶる筆致、あるいは薄暗い世界、不思議な幾何学模様。なんだか答えのない今の時代にぴったりとも言えるかもし

感想_<叱る依存>がとまらない

アンガーマネージメントにも興味がある今日この頃。 さて。村中直人『<叱る依存>がとまらない』読了。部下を、子供を、つい叱ってしまう。その日常的な行動には叱る側の依存性があった。臨床心理士の著者が「叱る」のメカニズムを解き明かし、叱らない社会をやさしく説いた1冊。 7歳と2歳の子供を持つ生活は、日々のあちこちに「叱る」が潜んでいます。前を向いて歩きなさいとか、ごはんこぼすなとか、いたずらするなとか、早く支度しなさいとか…。そんなのはどこでもそうだと思うのですが、「程度」がわからないのですよね。どのくらいがしつけや教育の範囲で、どこからそれ以上に逸脱してしまうのか。そんな自分の悩みの出口を求めてこの本を手に取りました。 なお、自分は対子供で考えていましたが、この本は対部下や後輩というのも大いに含まれています。 本書の大きなポイントは叱るという行為は、叱る側の欲求を満たすものであって、叱られる側を変える効果は非常に弱いということ。「本当はこんなこと言いたくないけど仕方ないから」と思いながら叱っているつもりが、実は「叱りたくて叱っているだけ」ということです。独り相撲かよ! もちろん、相手に変化を促したいという気持ちは間違いなくあるのですが、叱るというのは手法としてまったく有効じゃないと言うことです。でも、叱ることで相手が言うことを聞いたように見えたり、萎縮したりするから勘違いが生まれてしまい、その実本質的には何も変わっていなかったというオチ。こうして「何度言ってもわからないならこうだ!」的な負のスパイラルが生まれ叱る依存はエスカレートしていくと。 実験データや専門的知識をもとに語られているのでこのロジックはとても腑に落ちますし、確かに怒ってみせたり、きつく言い聞かせたところで、相手が何にも変わらないというのは実感もあります。子供もそうですし、対大人でもそう。自分が叱られる立場で考えても「この説教早く終わらないかな」とか思ってたりしますよね笑(いや、自分に非があればもちろん認めますよ…)。 叱るの持つ効果は、例えば道路に飛び出す子供を止めるような無条件の危機介入・抑止力のみのようです。とにかく何が何でも止めなきゃいけないときだけ。なので、相手に本質的な改善や理解を要求するならば、叱る以外の方法を模索した方が良い。 子育て8年目に突入した今、これはなんとなく思うところなのでした

小学2年生は恥じらう生き物。〜長男7歳6ヶ月、次男2歳11ヶ月〜

↑この現象、日暈というのですね(またはハロ)。 さて。小2長男の授業参観に行ってきました。教室につくと見知った子どもたちがじゃれてきてかわいいです。見知らない子どもたちも「誰のお父さん?」といった具合に寄ってきてかわいいです。 見たのは国語の授業。詩を班ごとに朗読するというものでしたが、各班それぞれ詩の読み方を独自に考えて発表するというもの。ソロをパート分けしたり、みんなで一緒に読んだり、声を大きくしたり身振り手振りをつけたり、いろんな表現をしてみんな頑張っていました。 詩をただ読むでもなく、意味を読み解くだけでもなく、こうやって身体的表現の領域まで拡張するのはとてもクリエイティブでいいな、って思いました。前にコラボ授業(算数×体育みたいな)のニュースを見ましたが、国語×音楽や体育というのもありだよね、と。 発表の後は、どんな工夫を発見したか、聞いていた人たちが挙手して発表。こういう演って終わりじゃないスタイルも自分の子供時代にはない(あれあったかな?記憶なし)、今っぽい進化だなーと思いました。 さて。ひとつ思ったのは2年生にもなると照れとか恥じらいが出るんだな、ということ。緊張は1年生でもあったけど、去年はもっとみんな勢いだけでガンガンいっていたような気がする。あと、正解を当てに行っているなというところも。 真っ当な成長なんでしょうけど、なんか寂しさも感じたりして、公共の場でわちゃわちゃしてるとヤレヤレとか思ったりするのに身勝手な大人の気持ちなのでした。 なんにしても愚息くんも学校生活を無事に送れているようでひと安心。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。 ■次男備忘録 ここにきてワガママがひどいというか、イヤイヤのアップグレードというか…。お風呂入らない、歯磨きしない、寝ない、のないない3兄弟に参っております。 一方で言葉は達者になり、抱っこせがみが減り、遊び方も複雑化したりお絵描きも形を成し始めたりという成長も。