トニこと、とにかく明るい安村さんに大笑いしました。最高。
さて。ポピュリズムが幅を利かせる昨今です。大衆迎合ということで、短期的すぎる目線はとても危険な気がしますが、このもととなる大衆とはなんなのか。
その起源は社会の近代化と共にやってきたそう(その前はなかったということに初めて思い至る)。大量生産や大量消費によって世の中の画一化が進みそれはやがて同調圧力を生み出すようになったと言われているそうです。やがてみんなと同じであることに安心し、平均であることに満足するようになると、個性も使命感もなくなり、野蛮で自分の意見ばかりを押し付けるようになるとか。
そっか、大衆ってすごく最近生まれたものなんでね。考えてみれば昔は大勢集まるのも大変だし、個々がバラバラでそれを一つに束ねるほどの価値観もネットワークもなかったか。色んな意味において。
画一化すると野蛮になるというロジックもなかなか奥深いですね。安心が平穏を生むのでなく暴力的なものの方にベクトルが向かうこと。考えてみるとそういう部分て確かにある気がする。集団にいることで責任感が希薄になり、守られてることを忘れて権利ばかりを主張する。監視社会に歪んだ正義、現代そのものな気がしてくるな。
色んなものが合理化されシステムの中で生きる現代人は、その過程にあったいろんなことを知らずに生きてますよね。もちろん僕も。知らないから勝手なことが言えてしまうし、結果無責任にもなってしまう。集団心理の怖さよ。
集団に寄りかかるのではなく、自律的であれるかどうかが大事なのかな。たぶん人任せではなく、自分の生活も行動も思想も、自分の頭で考えて取捨選択してして守らないといけないんですよね。そこから始めるのが、ネガティブな大衆に染まらないために必要なことなのかもなあと思うのでした。全部昨今言われてることですな。
だいぶ飛躍と端折りがありますがとりあえずはこんなところで。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。
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