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集め、切り貼りする、という宇宙

1ヶ月さぼったスイミングに行ったらしっかり衰えてて悲しいです。

さて。国立近代美術館で開催中の大竹伸朗展に行ってきました。大竹さんと言うと直島の「I♡湯」というイメージですが、キャリア50年で国際的にも評価されているアーティスト。

とても濃密な展示でした! なんせ500点にも及ぶ作品が集まった一大スペクタクルを、時系列関係なく7つのセクションにわけて展示。9歳で作ったという最初期のコラージュから昨年発表した最新作までずらり並ぶのですからそりゃすごい。

すごいのは物量よりも中身でして、とにかくあらゆる素材をコラージュしまくる。平面から立体、そして本や箱といった物体、ひと部屋?やステージなどの全体と、スケールもさまざま。使われている素材も切り抜きや写真、オブジェに看板となんでもござれ。国だって問いません。仮面ライダーやウルトラマンそして「キカイダー」も登場してうちの息子は喜んでました。

コラージュって素材一つ一つにストーリー性があり、それを切り張りすることでまた違うケミストリーが生まれるもの。大竹さんの作品はとにかく情報量が膨大すぎて何かを読み取るのは難しかったのですが、その分作品そのもののパワーというか圧みたいなものがすごかったな。自由だし楽しいと素直に思えたし。ゼロイチとは違う価値観。

これだけの素材を収集するのも大変だろうし、そこからどう編集して作品化しているのかも興味があるし、キャリアがあるとはいえこれだけの量を形にしてきたことにも、純粋に畏敬の念が。集める、切り貼りするってとても原始的だけど、それも突き詰めるとこんな宇宙になるんだなという感動。

コーラジュ以外の絵画なども楽しめましたし、美術館の外観には「宇和島駅」のサインがあるじゃない!なんてのもギミックがあってよかったです。この展覧会そのものが壮大なコラージュ作品でもあるのでしょうね。

自分も何か作りたくなる創作意欲を刺激してくれる展示でした。お子さん連れの方がけっこう多かったのは、3連休だからというだけではなさそうです。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。









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