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カタールW杯レビュー:世界編

うちのキッズたちもワールドカップに刺激を受けておるようです。世界中でそうなんでしょうね。

さて。衝撃の決勝戦でしたね。メッシ戴冠の大団円とエムバペ伝説の始まりが同時に訪れるというこれ以上ないだろうという恐るべきストーリー。メッシのターンひとつでグバルディオルを置き去ったハイライトも、とんでもないエムバペのワンツーボレーシュートも、衝撃的すぎるわ。

ここまで盤石だったフランス、なぜグリーズマンにボールが入らず、デンベレがあんなに内容悪かったんだろう。しかしその後のフレッシュな若手たちの逆襲は見事で、日本もそうだったけど元気なほうが勝つが世界のスポーツのトレンドな気が。戦術が高度化して、対戦相手の分析もかつてない今、コンディショニングがとても大切。ラグビーの日本もフィットネス強化が実を結んでいたしな。で、最後は異次元の個がすべてを破壊する、と。いやはや。

アルゼンチンvsクロアチアでアルバレスが見せたディフェンスに触られても全部自分のとこに返ってくるゴールすごかったし、クロアチアvsブラジルのネイマールのキーパー1対1あの極限でかわしてシュートたまげたし、フランスvsイングランドのジルーお見事だし、オランダvsアメリカのデパイとガクポよかったし、いやはや記憶に残るゲームをたくさん見せてもらいました。

前にも書いた通りサッカーはワールドカップしか見ないのですが、サッカーの質自体に大きな変化は感じませんでした。より前線からのプレス&ショートカウンターが増えた気がしたのと、PA内に入っても最後の最後までつないでくるようになってるって感じでしょうか。全体の陣形とかはよく見えないのでわかんないのですが、より緻密なフォーメーションになってるんだろうな。

このレベルのトップはみんなどこからでも決めれる力があるので、とにかく速い展開で前線にボールを10回送れば2~3回はチャンスきてそのうち1回はゴールまで行ける、みたいな感じがしました。ディンフェス足りてても一人かわせればこじ開けれる強度がどのチームにもあったような。日本にも。大して得点の匂いがしなくてもワンチャンでゴールまで迫れるスピードと技術。だから気が抜けないし目が離せないゲームが多くて面白かったなー。

で、なんでもそうだけど見るとやりたくなるというスポーツマンの性。サッカーしたいぜー。大きなコートを走る体力はないのだけれど。

次回は北中米大会かつ参加チーム増という謎のスケールですが楽しみに待ちまちたいと思います。来年はラグビーワールドカップだよ。よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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