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ハッピーバースデーは胃腸炎とともに。~長男7歳、次男2歳5か月~

写真は長男手作りのお誕生日ケーキです。

さて。ということで長男君7歳のバースデー。なのですが、次男が保育園で胃腸炎をもらってきたのが2~3日前、それがここにきてまさかの長男に飛び火してしまいました…。夜、吐いてしまい、発熱。翌日は少し落ち着いたもののまだ吐き気があるようで。予定ではスイミング→祖父母も呼んでカレーパーティ→サッカーの予定が全部おじゃん。可哀そうすぎる…。

それはそれとして。小学1年生も3/4くらいが過ぎて、すっかり小学生らしくなってきました。7年はそれなりに長かったけど、まあやっぱりあっという間で、ずいぶん手がかからなくなったと思うと感慨深いものがあります。初めての子育てはやっぱり手探りで、なかなかナイーブな気がしていた我が子にどう接していくがよいのかわかりませんでした。

上手くいかないと癇癪を起したり、妙に頑固だったり、思い通りにならないことばかりでしたが、ここまできて思うのはどれも些細なことで、ちゃんと時間とともに成長していくんだなということ。本人の性質と言うのはもちろんありますが、親がすべきことは、しっかり見守り、愛情をかけ、どんなことも受け入れる(そして受け流すくらいに)ことだったんだなぁと、ようやく思えます。しつけとか大事ですけど、焦ってムキにならないほうがよかったのかもしれません。

いいこと悪いことだけは、目を見てきちんと伝える。ちゃんと届いているのかはわからないし、すぐに実践してくれるわけもないんですが、言い続けてればたぶんじんわりしみ込むんですよね。声を上げても仕方なくて、淡々と切々と、それでいい。だんだん分別もついてくるわけで、そのとき少しでも残っていればオーケーなのかな、と。あとは何でも肯定してやらせてあげて、自分で学んで獲得できるように可能性を広げてあげるのが親の仕事かなと、少しずつ思えてきました。

まあ、手がかからなくなってゆとりが出たからそう思えるってだけではありまして、次男くんの横暴にはイラっとしながら手を焼いているわけですが。ま、それもあと3年半くらいかな(長い)と思って踏ん張ります。

学校の「書き方」みたいなやつで、きれいに書けた人の代表みたいになったらしくて、ちょっと照れながら報告してくれました。小さなことかもしれないけどとても誇らしいよ。他人のことでこんなに嬉しくなれるんだな~と薄情な自分にはあまりない感情を教えてくれて、親得な気分にさせてもらってありがとう。7歳の君にも素晴らしい思い出を残せるように楽しく暮らしていきましょう。

誕生日プレゼントは、ご希望のベイブレードを。楽しそうに遊んでおります。

■備忘録
誕生日がうらやましかったようで次男が「オレも、誕生日」と言い出しました。君は6月ね。

なおその後胃腸炎は父→母としっかり一家全員に回って終息していきました。やれやれ。

よりみちしながら、いきましょう。今日も、いい1日を。

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